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北京には、14:30すぎについた。HOTELで休むにも、これから観光に行くにも、中途半端な時間だ。
とりあえず、HOTELに行って荷物を部屋に置くことにした。 日本のHOTELであれば、よほどひどい所でなくては、手荷物を内部の者に盗まれることはないだろう。BHに泊まって、何度か小銭や少しばかりの紙幣をうっかり置きっぱなしにして出かけても、なくなったことはない。 中国で、日本であればBHとシティホテルの間位のホテルに泊まり、1度は新潟で買った1000円程の置物を机の上に置いたままHOTEL内で朝食をとっている間になくなった。 1度は、妻が毛皮のコートをクローゼットにかけ、私たちが夕食から帰ると、これがなくなっていた。 警察が来て、彼と支配人が従業員に、誰がとったのか、とったものを知らないかと尋ねたが、当然従業員たちは知らないという。それで取り調べは終わり。 妻の父母や姉も到着して、警官と支配人に談判したが、お気の毒に、と言われただけだった。 そんなところだから、ブランドの服などを置いておいたら、なくなるだろう。 幸い?私はしまむら、とかせいぜいユニクロの服しか着ないから、安心して服などを置いて、街に出かけた。 妻が言うに、王府井で目の保養をして、それから食事にしようとのこと。 私には目の保養にならず、懐が寂しくなるのが心配だが、まあ、名所は名所。行くことには異論がない。 地下鉄の駅へと歩いた。 未経験 派遣 PR |
中国人が心待ちにしている春節の季節になった。
春節、というと、花火や爆竹を派手に、いたるところでドンドンバチバチやるので御馴染だろう。 中国に住み始め初めてこの季節を迎えた頃は、これを楽しみにしていた。 だが、すぐに嫌いになった。 本来、ご先祖様をお迎えし、悪霊を退散させるため花火や爆竹をすると聞いていた。 だが見るところ、単に日頃の鬱憤晴らしでやっているようにしか見えなかった。 大量に花火類を購入し、羽振りのいいところを見せたいお(小)金持ちたち。 片側4車線の公道で、目立ちたいのか、スリルを楽しみたいのか、大声を上げて爆竹に火をつけ、轟音を発する花火を打ち上げる馬鹿者、もとい若者たち。 駐車場や、バスの操車場で、平気で花火・爆竹を楽しむ家族連れ達。 自分たちは安全なように、風下に向けて発射するのだが、その先が家屋であろうが、車があろうが、時には他人がいようがお構いなしだ。 こういう感覚の持ち主が大勢いて、こういう大人たちに育てられれば、いかに立派な学校を優秀な成績で卒業し、人民解放軍のエリートになっても、世界の安全と母国の発展を真剣に考えられる教養ある軍人になれるとは思えない。 愛国無罪、魚釣島わが領土(と教え込まれ、疑う智力が無いからだが)を侵す日本鬼子に、レーダー照射をしても、共産党に褒めれこそすれ批判されるはずがない、と軽い気持ちでレーダーを照射したのではないかと想像する。 今まで、米軍や東南アジアの戦闘機や軍艦に何度もそれをやってきたのだから、日本に対しても、これが初めてではないのではないか。 若いころは、中国を礼節の国、と思っていた。何人もの中国人を教え、接する中で、礼節に縁遠い人が多すぎるのに戸惑った。 中国で住みはじめて、偉い人の前に出るか、自分の利になるときにしか礼節にのっとた行動をとらないのが、今の中国人のほとんどだと気づくのに時間がかからなかった。 弱みを見せた他人様には無尽蔵に反省を求めるが、自らは反省をすることのない、厚顔無恥な、実に厄介な隣人である。 急募 転職 |
まずまず快適なフライトで機は北京空港に到着した。
パッと見トロッコの親分のようなで、空港ビル内に運びこまれる。日本語と中国語を話す乗客が半々位か。 別に疾ましいことはないのだが、入国審査の時はいくらか緊張する。だがすんなり審査はパス。 その後も中国入国の際は、止められたことはない。 逆に中国出国の時は、靴を脱がされたのが2度、トランクを開けさせられたのが1度ある。 入国よりも出国の規準が厳しいのだろうか。 入国ゲートを通り、辺りを見回すと、妻がいた。 彼女は、列車で前日に前のりしていたとのこと。 無職の病人が暢気に新婚旅行をしていいものかといささか気おくれしていた。 とはいえどうせ数か月後には中国に永住するつもりだったから、今回は中国を楽しもうと思い直し、妻とこれからどこを見て回ろうかと話し合った。 ド短期アルバイト |
日中にあまり外出をしていなかったので、暑い日差しが照りつける中、重い荷物を持って空港に行くのは体にかなりこたえた。
血液が溜まり白内障にもかかっている眼球越しに、駅で切符を買うのも容易ではなかった。 それでも、まあ、体は動けたし、何とか駅の料金表示も読めた。 最寄りの駅から、京成線本八幡に乗り換えて、まずはホッとした。 全日空のカウンターで搭乗手続きをする際、大きな虫眼鏡を使って記入していると、若い女性の係員が、チェックインに付き添って下さると仰る。 ありがたい申し出だったが、礼を述べ、丁重にお断りをした。 まだまだ1人でできることはしたいし、面倒もおかけしたくない。 でも、ケッコー可愛い方だったので惜しいことしたかな、と思うのと同時に、何かを判読したり記入している姿は、人様には介助が必要の人と自分を見ているのだなあ、と初めて感じさせられた。 ともあれ、親切な全日空の係員に出会えて嬉しかった。 その後、中国東方航空、中国南方航空、中国国際航空を何度も利用することになるが、こういう親切な対応にあったことは1度もない。今後10年はないだろうし、永遠に中国の機関や人にこういうサービスを理解できもしないか、と思う。 8月とはいえ、お盆の前だったので、北京行の機内は、空席が目立った。 フライトアテンダントは全日空と中国東方航空の混成であった。 新潟からH市に行くには、中国南方航空単独の運行なので、当然その会社のフライトアテンダントしかいない。 その者達の偉そうな振る舞いは、まさに乗せてやってる、って感じだ。彼(女)らは、客は少なければ少ないほどやるべきことが減って嬉しい、と思える様子である。 しかし、この機は、日中合作。全日空のサービス水準を、中国人アテンダントも気にかけざるを得ないのか、なかなか快適なフライトだった。 3時ごろ、北京に到着。さて、妻はちゃんと空港で私を待っているだろーか。 未経験 派遣 |
2005年8月某日、北京へ行く日が来た。
5月中国に帰る妻を成田空港で見送った。それから三月ほど彼女に会っていない。 妻はH市で元気で過ごしていると聞いていた。日本では慣れない工場勤めをしていたが、帰国してからは、元の病院に復帰して医師に戻っていた。 彼女に会うのは、楽しみだあったが、私は病人。 糖尿病患者にとって、外出や旅行の際、悩みの種は、やはり食事だ。 血圧も高い。高脂血症でもある。腎臓機能も常人の半分。糖尿病性網膜症の真っ最中で白内障も併発している。 道中の不安が大きかったが、これから住む中国のマンションも見ておきたい。 新婚旅行もしていなかったし。 大きめのショルダーバッグを斜め掛けし、質流れのボストンバッグを一つ手にし、出発した。 急募 転職 |
中国のマンションを買ったものの、現物を見ていないし、写真もない。
パンフレットは妻から送ってもらってあったが、以上に綺麗で整然としている。嘘くさい。 妻やその身内にすべて任せてあるから、心配はしていなかったが、やはり1度は見ておきたい。 新婚旅行、というものをしていなかったから、妻と北京で会って、少々旅行をすることとした。 今ならネットを使って最安値の搭乗券を手配するところだが、当時はPCに触ったことすらなかった。 「○ISなら、最安値ではなくても、結構安いに違いない。」 と考え、電話をしてみた。 北京からは、妻がすべてを仕切るので、北京までの片道搭乗券を求めた。 確か、3万円位だったか。 具合のいい日程の便が有ったので、すぐに予約した。 ド短期アルバイト |
何度も仕事を辞めてきたからか、辞職を申し出た後、特別な感慨もなく極めて淡々と日を過ごした。
毎朝体重を量り、朝食後血糖値も量る。 仕事探しも止めてもいいはずなのだが、朝刊の求人欄に目をやる。AMに買い物をする習慣だったので、スーパーなどにおいてあるフリーペーパーの求人誌をつい手にして持って帰る。 行かなくてもいいのに、週1でハローワークにいってPCで仕事を検索する。 PMにはいつも通り塾に出勤していつも通り授業をこなして帰宅する。 最後の授業に行くため自転車をこぎ始めると、流石にこの通勤路も今日が最後か、といささかの感傷が湧いた。嬉しいわけでもない。悲しくもない。それほど好きでもなければ嫌いでもないTVドラマの最終回を見ているような気分だった。 2コマ集団授業をし、1コマ個別指導を終えたのち、お世話になりました、と申して塾のドアを開けた。 帰路に就く際、いつもは3Fにある塾を見ることなどなく部屋へと急ぐのだが、この日は塾を見上げてみた。 不自然に明るい光が漏れる窓の中では、いつものように子供たちが勉強している姿が目に入る。 中国に移住したら、余程のことがない限り帰国するつもりがなかった。だから日本での最後の仕事が終わったなー、と感じながら、夜道を走り出した。 未経験 派遣 |
マンションは○ンチュリー21にお任せした。次に決めておかなければならないのは、アルバイトをいつやめるか、であった。
私とてちょっと前まではフリースクールを運営して人様を使っていた身。いきなりアルバイターが止めては困る。 働く立場のみで言えば、やめる1か月前に通告すればいい。 とはいえ、塾でほぼフルタイムで授業が入っているうえ、個別指導の塾ではあったが、国語と社会の集団指導のコマを持っていた。私ごときアルバイト講師でも、キリの悪いところでいなくなれば、多少なりとも混乱をきたしてしまう。 学校が夏休みに入ると、多くの塾はAMから営業を始める。平常の授業の枠組みとは変わる。 この時に講師が入れ替わることは、生徒にとっても影響が少なくない。まあ、私のようなおやじ講師より、若いお兄さん・お姉さん講師のほうが、生徒も楽しいだろうが。 8月に入ったら、中国の部屋を見に行く予定だったから、7月20日をもって辞めることにした。 室長は私を惜しむというよりは、人探しをする面倒が増えてしまったという顔をされた。おやめになる1週間くらい前から、引継ぎをしてもらいます、とだけ仰せになった。 急募 転職 |
少し考えて、マンションを貸すことに決めた。
○ンチュリー21の方は、自分は売買の担当なので、日を変えて賃貸担当の者をよこしたいが如何とのこと。 異存がない。 次の日曜日、女性社員の方がお見えになった。 なんといっても気がかりなのは、自分がマンションを引き払い中国に行った後、後を託せる人がいないこと。 部屋をそのまま何もせずに貸し出す手もあるが、それなりにきれいにしておかなくては、借り手もつくまい。 買って1年ちょっとのマンションだからわずかなリフォームで済むらしいが。 精算するのも、国外からでは、面倒臭そうだ。 色々な不安はあったが、○ンチュリーのほうですべて取り仕切ってくれるとのこと。 掃除やリフォームが終われば写真に撮り送ります。 見積もりを取らせていただき、前払いしていただければ、必ず清掃・リフォームは完全に致します。当方と致しましても、かりてくださるかたがいらしてこその商売ですので。 何となくピンときて、ここに賃貸の業務を頼むことにした。 この時2005年5月。日本をたつのは12月。借り手は2006年3月に見つかることになる。 大家になる、という実感はなかったが、一つの問題が片付き、やれやれだった。 わずかな額だが、日本円の収入の見込みができたのは嬉しいことだった。 ド短期アルバイト |
○ンチュリー21の営業マンが、時間通りにおいでになった。
不動産の売買が専門だが、賃貸の商談もできるので、色々伺いたい、とのこと。 私は、まだ売るか貸すか決めかねている。売るのならウン万円以上、貸すのならウン万円以上、と条件をお話しした。 営業マンは、よく相場を研究されていますね、とほめてくださった。 1年前に買った価格と全く同じ値段で売れるらしい。 流石は築30年以上の、古いマンションである。ここを買った時に仲介してくれた業者の仰ったとおり、一定年度を経過したマンションは、もう、そう目減りしない、というのは事実だった。 それでも、買った時の経費、売るときの経費までは回収できない。 賃貸のほうを伺った。 家主様が国外にいらしても、しっかりこちらで宣伝をするし、借り手がついたのちは、しっかり家主に代わって管理をする、それが私どもの仕事です、と熱心に話された。 「PCがなければ、FAX,郵便で密に連絡をします。借り手を探すのも、私が勤める店舗だけではなく、全国のグループ店舗で協力し合って、お客様の期待に応えられると存じます。」 そんな話を聞きながら、賃貸にするか、と気持ちが固まっていった。 未経験 派遣 |